歴史と文化財 〜 藤 原 遺 跡 2 〜


□ はじめに
 ぼくは,藤原に住んでいる。近くに遺跡があると聞いて,教えられた場所へ行くと, 高床倉庫・炭窯・沖田奥古墳・製鉄炉などがありました。ぼくはここを舞台にして, 「吉備の国探検レポート」をかくことにしました。なぜここをえらんだかというと,だれもここには来そうにないからです。 僕だけの「吉備の国探検レポート」になりそうです。



高床倉庫

 高床建築は,地上や水上に柱を立て,ゆかを高い位置に構築したもので,竪穴式住居や平地住居と区別されます。
床を高くすることは,湿気防止を目的としたものです。
 日本では弥生時代に米などを貯蔵する倉庫として採用されたのが最初で,その後支配者の住居あるいは神殿として用いられるようになりました。
 この建物は弥生時代の高床倉庫を模したもので,3.8メートル×3.2メートルの規模を持ち,床面積は12平方メートルです。
 当時のむらは,竪穴式住居数戸と高床倉庫などで構成されていました。



炭窯

 この窯は沖田奥製鉄遺跡第3号窯をモデルに復元したものです。中空のカマボコ状の窯で奥側には20cmくらいの煙道があけられ,さらに石組みの煙突が設けられています。
 長軸の片側には掻き出しのために1メートル間隔で穴があけられています。側面に広がる平坦部は掻き出した炭を処理する作業状と考えられます。



沖田奥古墳

 この古墳は,現在5号団地の社屋が建てられている尾根にあったものを,調査後ここに移築されました。直径9メートルの円墳で,浅い周溝が半円状にめぐっています。
遺体を収めた横穴式石室は長さ5.5メートル 最大幅1.2メートル 高さ3メートルで,天井は全て取り去られていました。
床面の半分は板石をしいてあり,須恵器5.土師器1が副葬されていました。これらの遺物から,この古墳は7世紀前半頃に築かれたものとかんがえられる。



製鉄炉

 この製鉄炉は,沖田奥製鉄遺跡第2作業場第1号製鉄炉をモデルに復元しました。斜面を削り,平坦部を作り出して作業場とし,80×60cmの大きさで深さ15から25cmの穴を掘り, よく焼いて乾燥させ,素の上に粘土で炉を築き,鉄鉱石を木炭で加熱して鉄を作っていたものと考えられます。


ぼくはこの遺跡を調べて,少しだけど分かったことがある。 それは昔の人は,たくさんの知恵を持っていたということだ。 そして,ぼくはたくさん勉強できたと思う。


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