□ はじめに −この場所を選んだ理由―
どうして藤原遺跡を調べようかと思ったのは,よく横の道を通るし,どういうものなのか知りたかったからです。
総社市と真備町のさかいにある山から北に走る尾根やふもとにかけて,弥生時代の村の跡3ケ所,
古墳(円墳)50基,製鉄の遺跡5ケ所,が見つかりました。
このころ鉄を作るためには,炭を使っていました。掘り出された炭焼きがまには,たくさんの穴が 横一列に並んでついていました。このあなから真っ赤に焼けた木をかきだし,灰をかけて消し, 白炭という炭を作ったようです。 この炭焼きがまの中は,原木を積めるため,大人が数人ぐらい入れる広さがあります。
鉄を作った炉の跡もたくさん見つかりました。火をたいてしっかり乾燥させて固めた穴の上に, 粘土でかまを築いたようです。 このころの鉄は,砂跌と木炭を交互につめてたき続けたあと,かまをこわしてとけた鉄を 取り出す方法で作っていました。こわすと,次々に場所を移動して新しい釜を築いていたようで, 5ケ所の製鉄遺跡の中に炉の後が60基もありました。
古墳もたくさん見つかりました。このあたりは,弥生時代の半ばころ人々が移ってきて以来, 栄えたようで,掘り出された遺跡から農作物や鉄を作って暮らしていたことがよくうかがわれます。
藤原遺跡までは,そんなに遠くなかったので自転車でいけたのでよかったです。
でもすこしつかれました。
しらべるのは図書館で調べました。たくさんの本があるので, どれにのっているか分からなくって,なかなか見つからなかったです。
藤原遺跡には,人がいなかったので話しは聞けませんでした。
復元されていた遺跡もありました。